道端に落ちている1円を拾うと、1円以上の価値は得られない。

雑談

みなさん、こんにちは。

部活をやっていたころの写真を見ていると、ふと思い出したことがあります。

大学の同期3人で部活の練習終わりに駅まで帰るとき、道端に1円が落ちていて、1人が1円を拾うともう1人が「1円を拾うと1円以上の損をしているぞ。」と言ったんですよね。

当時は「へーそうなのか。」と流していましたが、今思うとどうなのかと。

考えてみたところ、1円の価値しか得られないという考えになりました。

みなさんはどうでしょう?道端に1円が落ちていると拾いますか?

人の時給単価は意識しないと考えない。

自分の時間の価値って考えたことはありますでしょうか。分かりやすい例としてはバイトの時給とかが良いですね。一時間当たり○○円って記載です。

仮に東京に住んでいた場合、最低賃金は1,072円となります。(最低賃金

1時間当たりなので1分単位になおすと約17円。少数点とか手間なので切り捨てて17円とします。そして秒単位になおすと0.2円。同じように切り捨てます。

落ちている1円を1分かけて拾う人はいないので、かかったとしても5秒ぐらいでしょうか。

0.2円×5秒=1円。うーんトントンといったところか。

それに、1日は24時間で睡眠、入浴、食事の時間を考えると自分の時間全てを労働に当てることは出来ません。「24時間戦えますか?」というキャッチコピーのCMを見たことがありますが、それができるのは機械ぐらいでしょう。

するとさらに単価は落ちていきます。

1秒が大切になる瞬間

逆に1秒が大切になる瞬間には何があるでしょうか。思い当たりそうなのが、スポーツの試合のラストがありそうです。例えば、サッカーで1点負けていて試合の残り時間が少ないときですね。「もう1秒、あと1秒が欲しい。」と切実になる欲する場面です。

1円を拾っている5秒と試合終了間際の何としても1点が欲しい5秒。同じ5秒でも後者の方が重みを感じます。流れている5秒は同じです。等価とは思えません。

おそらく同期は「1円を拾うという動作に、自分の楽しいこと、やりたいこと、どうしても時間が欲しい時、これらを投げ捨ててまで拾うのか。」という意味を込めて言ったのだと思います。

自分に与えられた時間を自分の納得いくように使うことを当時からしていたのでしょう。その子は1秒をさらっと流さないように意識していました。

最後に

1円を拾うと確実に1円を手に入れることができますが、それ以上の価値を生み出すことはありません。拾うことに自分の貴重な時間を使うとすると何だか損をした気分になります。

1円以上の価値を生み出すために時間を使った方が無駄なく使えてますね。

その同期は大学生の時から時間の価値を分かっているのかと私はあっけにとられてました。

私も気づけてちょっと賢くなった気がします(笑)

それでは、

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