はじめに
バイクが好きでブログも書いてるけど、毎日ずっと走れるわけじゃない。
雨が降れば乗れないし、疲れている日や予定がある日も当然ある。
そんな「乗れない日」、みなさんはどう過ごしていますか?
私はというと、アニメを見たり、本を読んだりする時間が多いです。
それは単なる暇つぶしというより、「感性のメンテナンス」みたいなもの。
走らない時間も、ちゃんと“次の一筆”につながっているんですよね。
アニメや本は「旅」のヒントの宝庫
アニメや本って、よく見ると旅の物語が多いんですよね。
出会いや別れ、道中のトラブル、そして目的地で得るもの——
どこかツーリングと重なる瞬間がある。
とはいえ、旅の話だけを読んでいるわけではありません。
本は数千円で、偉人や専門家と対話できる最高のツール。
普段なら直接話すこともできないような人の考え方に、時間と距離を超えてふれることができる。
そう考えると、ちょっとワクワクしませんか?
たとえば、最近では「ロックは淑女の嗜みでして」を見て、全力でぶつかることの楽しさを思い出しました(笑)
こうした“引っかかり”が、ブログを書くときの比喩になったり、記事のタイトルのヒントになったりするんです。

走れない日こそ、「自分らしい表現」を養う日
バイクに乗れない日って、つい「今日は何もできなかったな…」と思いがち。
でも、実はそういう日こそ、頭の中でたくさんの“旅”をしているのかもしれません。
私は、走っているときよりも、走らない日に記事の構成を思いつくことが多いです。
ふとしたセリフ、背景の描写、旅の空気感——
そういうものが心に残って、少しずつ自分の文章の“色”になっていく。
バイクの音は聞こえなくても、感性は走り続けているんですよね。
それに、乗らない日があるからこそ、いざ走ったときの楽しさが倍増する。
食事制限のあとに食べるショートケーキがやたら美味しい、みたいな(笑)
インプットが止まると、書けなくなる
「ネタがない」「何を書いていいかわからない」——
そんな時期って、誰にでもあります。
でも振り返ってみると、そういう時ってたいていインプットが止まってるんですよね。
誰かの視点に触れる、本の空気を感じる、音楽に浸る。
そうやって自分の中に“素材”が入ってこないと、アウトプットって不思議なくらい出てこなくなる。
逆に言えば、何かに触れて心が動いたとき、「これ、誰かに共有したいな」と自然に書きたくなるんです。
だから私は、無理に書こうとしないで、「今は貯めるとき」と割り切って、好きなものにたくさん触れるようにしています。
人生でバイクの世界しか知らない人と、他の世界も知っている人とでは、書ける範囲も、視点も、きっと変わってきます。
そして、その人だけの視点が育ってくる。
独自の視点を持てると、自然と文章にも個性が出てくるし、時には誰かの心に届くことだってある。
自分の視点って、案外ほかの人と一致しないものなんです。
でも、その違いを楽しめるのも、インプットがあるからこそだと思っています。
まとめ:静かな日にも、意味はある
バイクに乗れない日も、意味がある。
何もしていないようで、感性は旅をしてる。
書けない日も、言葉のタンクはじわじわ満ちている。
そう信じて、今日も一冊読んで、一話観て、そしてまた走り出そうと思います。
バイクに乗れない日にこそ、違う世界に触れてみませんか?
それでは。
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